自己顕示欲発散マシーン

タイトルで全てが解る

スマブラSPのお話。

 どうも、あしゅです。あれ、このブログってちょっと理屈っぽい自分語りして自己顕示欲発散させるところだったのになんでゲームが記事になったんだ? 自分で疑問符を浮かべながらこの記事を書いています。

 

 注意:ぼくは全くつよくないので雑魚がなんか喋ってるくらいで読んでくれりゃいいです  というかマジでそんくらいで読んでください、VIPに行けないレベルなんで多分

 

 いやあ、スマブラSP出ましたね。ぼくはこのゲームをMOTHER勢を使いたいという理由だけで買っています。MOTHERファンなので当然ですね。なので持ちキャラは勿論MOTHER勢中心です。ネスとリュカ。その中でもMOTHER3には結構思い入れがあるのでメインではリュカを使っているのですが、いやあ……全く操作感変わりましたね。ヒモヘビめちゃくちゃ短くなってやんの。しかも下投げのふっとび強化で下投げ空Nやダウン連が全くつながらない。空中PKFも着地隙増えたみたいですし空N自体も変な吹っ飛びベクトルに変更されたせいで、

 

「いやどこいくねーん(陣内智則)」

 

みたいな事も増えました。まあその代わりアホみたいにNB強化されてますけど。今まで上だったふっとびが横になり、復帰阻止としてはトップレベルの嫌がらせ技になりました。なんだあのベクトル!? と初見時は驚いたものです。あとは空下ですかね。1段目からの残りが繋がりやすくなったのでメテオにもコンボパーツにも使える優秀な択になったと思います。空前も十分優秀ですね。隙も少なめですし先端当ての威力は十分で、牽制にはもってこいって感じ。空後も相変わらずメテオがやりやすいので重宝します。地上で出しても多分いいんじゃないですか、結構使いやすいと感じました。

 ただやっぱ他のキャラが壊れすぎてますよね。復帰めっちゃ辛くなったし。なんでそこまで強くはないです。PKT体当たりの判定が強くなったらキャラランクも上がりそうなものなんですけど。

 次、ネス。空上のモーションが変わったりしました。ヘッドバットの方が強くなかったキミ? 他には下投げ空前がちょっと弱くなった? PKFも拘束抜けやすくなってますし、PKTの復帰は体当たりの距離が短いから相変わらず信用できませんし、そこら辺はうーんって感じ。ただ、空前や空Nは相変わらず無限に振っていけるだけの汎用性がありますし後ろ投げも多少下方食らったとはいえまだまだ強い。あとは体感ですけど空下ちょっと強化くらいました? なんか強くなったような気がしました。

 

 新キャラや復帰参戦キャラもたくさん。Forからの参戦ですがシュルクは個人的に好きなファイターの一人です。モナドがちょっと弱体化くらいましたけど、その分通常形態に上方が入ったみたいで。NBの仕様に関してもようやく慣れてきました。B押してスティック倒してそのままB離すアレです。「撃」や「斬」を素早く出せるようになっただけでかなりの改良だと思います。いい。あと顔が下方修正されてない?

 使用感ですが、空N空前辺りがかなり強化されてるかな、という印象を受けました。Forの頃よりも一層バッタが捗る感じがします。ただ、やっぱ「撃」なしだとかなりバーストは面倒だなあと思いました。あとバクスラは崖が掴めるようになったみたいで、これは非常に改良ですよ(よく暴発するので)。未来視はあんまり使ってないからわかんない。

 

 取り敢えず今後の目標は空ダを習得することで行こうと思います。サイマグ空ダって3式だったよね?

 

 取り敢えずちゃんと書いとかないとこのサイトの存在を忘れそうなので急いで書きました。次はちゃんと書きます多分。そんじゃ、また。

推しの技が増えた、というお話。

 どうも、あしゅです。今これを書いているのが夜中なのでめちゃくちゃ手短にします。

 

 ぼくの唯一の推しである、手足の捻れというElonaなら間違いなく筋力や器用にマイナス補正がかかるであろう体質の持ち主である世界初!?男性バーチャルYouTuberのばあちゃるですが、この度また新技を生み出しましたのでご報告致します(いらない)。

 

 また、というのは以前にも技を生み出しているということです。彼は体質の他にジャンプすると瞬間移動が出来る技やゲームの世界に入ることが出来る技、3次元と2次元を行ったり来たり出来る技、また首を360度回転させられる技など、多種多様な技を持つテクニカルなファイターです(スマブラのやりすぎ)。そんな中で先日またも生み出されてしまった新技。あれ、どうにも名状しがたいんですけど(クトゥルフかな?)、ものすごく簡潔にいうと彼の身体にノイズのようなものを生み出す技です。

 

 何を言ってるのかわからねーと思うが、おれも何を言っているのかわからない。なんだあれ。いやわかんね。どうやって説明すればいいの? 教えてエロい人。

 

 いや、まあ言わば彼の姿が謎のノイズによってギザギザに表示されたってだけなんですけど。彼のノリやタイミングとこれまでの技の魅力()によって、視聴者や生放送の登壇者に明るい笑いを届けてくれました。なんかここまでくると強キャラ感ありますよね。

 もしかしたら昨日のあれ、バグスターの影響かもしんないですね。以前動画が上がっていた、「ばあちゃる檀黎斗説」がさらに信憑性を帯びてきたような気もします。そういえば活動休止する前と再開後でずいぶんとTwitter上でのキャラも異なっています。あれは「新檀黎斗」を暗喩しているのかもしれません。嘘です、今適当に考えました。

 

 

 ぼくは他の熱心な馬組のようにはなれませんが、これからも静かに彼を応援し続けようと思います。どんどんと推しが新技を開発してくれることを願って。そんじゃ、また。

「友達ってどこから?」というお話。

 どうも、あしゅです。毎日更新したいなーとか思ってたけどフツーに忙しすぎて無理でした。つらい。

 ちょっと前回変に語っちゃったので今回はもうちょい抽象的なお話でぼくの自己顕示欲を発散しようとおもいます。今回は友達についてのお話。

 

 小さい頃は一回遊べば友達になれたのに、大きくなるにつれてふと疑問が浮かびます。

「友達の基準って、なんだろうか?」

 

 ちょうど思春期とかになるとこういう事考える人、増えるんじゃないですかね。皆さんの友達の基準はなんでしょうか。凄くハードルが低かったり、若しくは高かったり。そのへんはホント個人差ですからなんとも言えませんけど。

 

なぜこの題材を選んだかといいますと、最近Twitterで『「本当の友達ってどうやったらできるの?」という質問に鴻上尚史氏が回答をしている』記事を紹介しているTweetを見かけたからです。ややこしすぎ! で、この鴻上尚史という方の考え方がぼくは好きなんです。この方の著書が思春期のぼくの在り方を決めたと言っても過言ではないくらいには好きです。なので改めてぼく自身も「本当の友達ってなんだ?」「そもそも友達ってなんだ? 友達になるにはどうしたらいい?」ということについて考えようと思った次第。

 

  ↓この記事です。めちゃくちゃいいので是非見てください

dot.asahi.com

 

 さて、まず初めに自分語りからしようと思います。ぼくは割と周りの人間に恵まれている奴でして、結構遊びとかに誘ってもらったりもしています。でも、何回もおしゃべりをしたりご飯を食べたり遊びに行ってたりするから仲は良いはず、なのについ気にしてしまう事があります。「もしかしたらあっちは無理にぼくに合わせてくれているだけど、本当はぼくのことが好きじゃないんじゃないだろうか?」と思ってしまうのですね。なので、ぼくの友達の基準の1つは「自分が相手と友達になりたいと思っていて相手が友達だと思ってくれていれば友達」です。すげーネガティヴ。ちなみにぼくの「友達になりたい」のハードルはとても高いです。人の好き嫌いが激しいからね。

 

 閑話休題

 

 で、友達になるにはって話なんですけど。そのためには、「友達になりたい」という感情が生まれるキッカケというものが必要だと思っています。例えば下のように、

・趣味が合う(もしくは共通の話題がある)

・波長が合う(なんとなく過ごしやすいとか)

・何回か一緒に遊んだりして親睦を深める

・どうしてかは知らないがいつの間にか仲良くなってた(例外)

 ……他になんかキッカケあるっけ。ぼくは友達が少ないので他に思いつかないです。思いついた人は各自で補完してください。

 これらのキッカケをベースに、相手を自分の「友達の基準」と照らし合わせたりすればいいんじゃないでしょうか。

 ココらへん最適な言葉が思い浮かばなかったのですごく曖昧です。今後修正あるな?

 

 

 次、「本当の友達ってなんだ?」ということ。

 

 これに関してのぼくなりの答えは「友達だよ」です。……「は?」ってなるよな、わかるわかる。でも待って、ぼくにも言い分があるんです。

 えっと、まず。「本当の友達」という概念が、とある人間の中に存在しているとすれば、その人の中には当然「偽物の友達」も存在します。本物ばかりならそもそも「本物」という概念が生まれない筈なので。「偽物」という概念があって初めて、「本物」が存在できるわけです。

 そんで。ぼく、その「本当の友達」とか「偽物の友達」とかって分けるのがダルいんですよね。偽物の友達って、それもう友達じゃないじゃん?ってことです。つまりぼくにとっての「友達」というのは、全員がいわゆる「本当の友達」ってわけなんですよ。

 でも、それって結局問いに対する答えにはなってない。なので、ぼくにとっての「友達」をまず明確にして、それを答えにしようと思います。

 

 

 ぼくは友達と、互いに"プラス"を分け与えられる関係……鴻上尚史氏の記事内でいう”「おみやげ」を渡し合う関係”でありたいと思います。”プラス”っていうのは、要は相手にとって嬉しい、楽しいと思えるようなものを指します。そんで、もしそれがどちらか一方だけに"プラス"がいくようになったりしたら(そうならないような相手とだけ付き合いを持っているつもりですが)、きっとぼくはその相手を友達と呼ぶことをやめるでしょう。その関係はきっと対等じゃない。ぼくは友達とは対等でありたいのです。

 でも、互いに"プラス”だけ……なんて、そんなこと出来るんでしょうか。勿論、それが出来れば凄く理想的だしいいと思いますけど、少なくともぼくにはできません。

 

  自己評価が低いぼくのような人間は、よく「友達」相手にも劣等感や羨望を抱きます。しかもそれを直接伝えます。超めんどくせえ。これって、相手からするとぼくの"マイナス"部分なんですよ。つまり悪い部分ね。だって相手からすればそんなこと言われたって「そんなん知らんし……」ってなるだけでしょ。しかもぼくの性格における好きではないところだって存在します。これもぼくの”マイナス”部分。これを相手にだけ押し付けるのなら、でもその代わり、ぼくは友達の愚痴とか延々と聞きます。クソ面倒くさい人生相談にも乗ります。ぼくにも友達のどうしても好きになれない部分があります。それはぼくにとっては相手の”マイナス”部分です。だけどそういった悪い所も「まあ、こいつならええか」って思えますし、相手も「こいつはこんなんやししゃーない」と(今のところ)思ってくれてます。これが、ぼくの考える理想的な「友達としての在り方」です。

 

 だから、ぼくにとっての「友達」、つまり一般論でいう「本当の友達」とは、『互いに"プラス"を分け与えることが出来て、なおかつ相手の"マイナス"を許容できる存在』であることです。

 勿論、これは全部ぼくの考えです。この記事を見ている人にとってはまた友達の基準が違うかもしれません。なので、暇な時にでも考えてみてはいかがでしょうか。考え始めると案外面白いですよ。

 

 あー、久しぶりに自己顕示欲発散できて満足です。そんじゃ、また。

ネットリテラシーはそう簡単に身につかない、というお話。

 どうも。いきなりどうでもいいですけど、IDと名前(Twitterアカウントのユーザーネーム)が違うのややこしすぎるから今度から自分のことあしゅ(Ash)って言うことにしました。はい。

 

 今日はネットリテラシーについて考えました。ネタがないからひねり出すしかないんです。

 さて本題。およそ2000年台初頭から中盤にかけて、急速にインターネットは普及し始めました。一番本格的になったのはガラケーが発展した2000年台後半かな? まあそこら辺はどうでもよくて、その頃からインターネットリテラシーなるものが謳われ始めました。ぼくは当時小学生~中学生だったのですが、学校でインターネットの危険性についての講演会みたいなのを体育館で幾度となく聞かされた記憶があります。で、今では当たり前のように使われているその言葉ですが、じゃあ「インターネットリテラシー」って何ぞや? っていうお話です。

 

 まずはリテラシー(literacy)の意味。これ、ぼくが持ってる英和辞典ではまず「読解や記述をする能力」と出てきます。で、その次に「ある表現を適切に理解、及び解釈、整理する能力」みたいな感じの意味が出てくるんです。多分ネットリテラシーでは後者が使用されているのでしょう。つまり凄く端的に言うとインターネットリテラシーとは「インターネットを正しい形で利用する能力」である……そんな解釈が無難なところです。

 

 じゃあそのリテラシーが足りないとどうなるのか? これはまあよく聞くんじゃないかなあと思います。以下テキトーに有名所を箇条書き。

  ・出会い系サイトの被害に遭う

  ・ネットゲーム依存

  ・ワンクリック詐欺等の被害

  ・著作権や肖像権の侵害(加害者にもなりうる)

  ・個人情報の流出

  ・ネットで知り合った人と会ってトラブル     etc...

 あとは「Wikipedia丸写しレポート」とかもよく聞きます。因みにぼくが通ってる大学でそれやったら問答無用で落単です。残念でもないし当然といえる。

 とまあ、これが大体2010年頃までよく聞いた話で。そんで今の環境で最もよく言われるのが「SNS上でのトラブル」です。これ、めっちゃよく聞きます。

 TwitterInstagram、LINE、Facebook……SNSやSMSが凄い勢いで普及し、多くの若年層がスマートフォンを持つようになった現代において、これはとても大きな問題と言えるでしょう。Twitterが年齢制限をつけたのも当然ですね。全国の人と気軽にコミュニケーションが取れるのは非常に大きな利点ですけど、それはつまり会話等においてのトラブルも現実のみならずインターネットでも簡単に起きるようになったという事でもあります。出会い目的でSNSを使う人間も当然います。Twitterの出会い厨とかが裏垢のリプライ欄に大量発生している光景は、まるで誘蛾灯に群がる羽虫のようにぼくには見えました。でも、実はそうやってアイドルとか病み垢とかに変なリプライ送ったり女性にDMで性器の画像送りつけたりするのって、中年層(30代~50代)が多いような印象を受けたんですよね。それを踏まえると、真にネットリテラシーを学ぶべきなのって、子供じゃなくってそこらへんの大人なのでは? そう思わずにはいられません。

 

 しかし、「じゃあ若い層悪くなくね?」とはならない。中年層が多いと感じたのだって、それはぼくの主観でしかないですし、20代でもああいうことしてるやつ多いと思います。それに、TwitterのTLを見てみると、つい最近野沢雅子さんのなりすましアカウントが騒がれたときも、大体高校生~大学生辺りだと思われるアニメアイコンが主体となって騒がれていた気がします(これも主観)。あとsyamu_game代理人の時も。あんなんフツー疑うでしょ……。

 

 さて、上述したような光景を見てきて感じたのは、自分にとって都合のいい、若しくは関心が惹かれるような情報って、彼らにとっては凄く疑いにくいのかもなあ、ということ。

 怪しい情報や、レポートに関する情報は裏を取ろうとしたり疑ったりするのに、ああいう情報は疑わない。バズツイにすぐ「嘘松」と送りつけまくるユーザーがJINとかはちまとかRTしてた時には「あ、そっちは嘘だと思わないんだ」と素直に感心しました。あれ、フェイクニュースも何のその、バズったら即記事書いてPV稼ぎを狙うようなクソサイトなのにね(個人の感想です)。

 

 とまあ、長話もこれくらいにしてサブタイの結論に入ります。以上のことから、真にネットリテラシーを身につけるって、実は結構難しいことなのではないでしょうか、そうぼくは思いました。ぼく自身、ネットリテラシーが完全に身についているかと聞かれると「うーん……」ってなります。ぶっちゃけ自信ないです。でも、ぼくは基本的に出処がハッキリしている情報(訃報とか)以外は疑ってかかってます。全然信じてません。これはイキってるとかそんなんじゃなく、信じた結果騙される、という事にひどい恐怖を覚える性格であるということや、誤った情報を拡散したくないというのが理由です。

 

 では、果たしてそんな嘘や悪質な詐欺が横行するインターネットとは果たして悪なのでしょうか。

 上のような”インターネットは悪である”という、大体今の50代60代に多い(偏見)意見ですが、ぼくはこれは違うと思います。大体ですね、「すぐに情報を信じない」、「それが正しい情報であるかキチンと考える」なんていうのはネットリテラシー以前の、常識の問題なんですよ。新聞やテレビのようなマスメディア、あるいは自己啓発本とかでも一緒。ネットだけの話じゃないとぼくは思うのです。それなのにインターネットの時だけやたら騒ぎ立てるのがあまり理解出来ない。包丁を使用した刺殺事件だって悪いのは包丁ではなく人間であるように、インターネットにおける事件やトラブルも悪いのはどこまでも”人間”なのです。毒と薬は紙一重、ある人にとっては知りたい情報が得られたという薬かもしれませんがある人にとっては詐欺の被害に遭ったという毒となる。要は使い方次第なんですよね。

 まあ、インターネットは他のメディアに比べてガセが多いというのは否定しませんけど。多くの場合、インターネット上での情報発信者は匿名で、その匿名には専門家もいれば知ったかぶりもいるので、どの情報が正しいのかは他のメディア以上に慎重に判断する必要があるとは思います。

 

 なので、教師や親の方々はこれから、基本的には全ての情報を疑って信頼できると確信出来た情報だけを信用することを教えるといいと思います。ギスギスとか知るもんか。自己防衛ですよ自己防衛。性悪説バンザイ。

 

 つーかなんでこんなえらっそうに語ってるんだろうね? ぼくネット使い始めてまだ10年~13年ちょっとしか経ってないんですけど。Flashの時代だよ、「赤い部屋」がすげー流行った頃だよ。真面目もへったくれもないテキトーな事書き綴るつもりだったのに結局2000字超えるし。あほくさ。

 

 次はもっと簡単な話題を探します。そんじゃ、また。

自己顕示欲を発散するというお話。

 はじめまして。basabasa(ばさばさ)といいます。この度こんな感じでブログ(つーか雑記)を始めました。意図はタイトルどおり。

 

 人間というものは誰しもが自己顕示欲、つまり自分の存在を他人に向けて表現したい、アピールしたい などといった欲求を持っています。その表現の仕方は様々で、例えばイラストを描いてアップロードすることであったり(絵師)、歌を歌ってこれまたネットにアップロードすること(インターネットカラオケマン)であったり、自分に関するTweetをすることだって一種の自己顕示欲の発散となり得るでしょう。他にはまあ掲示板への書き込みとか動画作ったりとか、後はオシャレなファッションに挑戦することだってそうかもしれません。そんな感じで自分を発信して、そして受け入れられたい、若しくは褒められたい。そんな承認欲求だって、人間に与えられたごく自然な欲求で、個人差はあれどソレを皆持っています。そしてそれはぼくも勿論例外ではありません。ぼくだって他者に向けて何かを発信したいという欲があるわけですよ。そんで承認されたい。

 自己顕示欲と承認欲求というのは密接な関わりを持つ、とぼくは考えていて、その欲求を健全な形で(←すげー重要)満たすことが出来れば、きっと凄く人生は充実したものになると思うのです。

 

 しかしながら、ぼくは絵が描けないし歌も上手くないしTweetも面白くないんだな、これが。承認を得られるような、何か強みと呼べるようなものを何も持っていないのです。めっちゃ器用貧乏。もし何か1つのジャンルに的を絞って突き抜けちゃえばそれは凄く欲を発散出来るのだろうけれど、行き過ぎた自己顕示欲の発散を行っている人(これは悪い例を出すと信者とかなんにでも便乗する奴とか5chで醜いレスバトルしかしない奴とか)をとかく嫌う傾向にあるぼくが、同じ穴の狢になるわけにもいきません。

 

 じゃあこれ(ブログ)でいいや ってわけです。アクセスが多いとかコメントが多いとか、ぼくにとってはそんなのはどうだってよくて。こうして他者に向けて何かを発信する、それ自体がすでに自己顕示欲の発散になるんですね。Twitterだと時に他者を不快にすることもありますが、こういった形式ならおそらく誰にも見られないから安心!(慢心)

 

 つってもどうしようか。書くこと特にないしなあ。折角開設をしたのでこうしてテキトーにウダウダ書いてますけど、如何せんぼくは平凡でつまらない人生を送っている自信があるので、特に話のネタになりそうなことが周りで起こらないんですよね。ゲームの話とかしてたらなんとかなるかな。あと愚痴を書くって凄くストレス解消になるって聞いたことがありますね。

 

 気分屋なのでめちゃくちゃ速く更新するかもしれませんしすぐ飽きてやめちゃうかもしれませんが、どうせ日記帳みたいなものなのでマイペースにいこうとおもいます。じゃ、また。