自己顕示欲発散マシーン

タイトルで全てが解る

嫉妬のお話。

 どうも、あしゅです。忙しさがMAXになっていました。まえがきのネタも今はないので、とっとと言いたいこと言おうと思います。

 

嫉妬という感情

 皆さんは「嫉妬」という感情を覚えたことがあるでしょうか。ぼくは四六時中嫉妬心を抱いています。まあ、嫉妬をしたことがない人のほうが珍しいんじゃないかなと思うくらいにはよくある感情だとは思います。なのでここは別に重要じゃないです。もっと重要なのは次のこと。

 嫉妬心を抑えようとしたことはありますか?

 よくドラマやアニメ、また小説等で「醜い嫉妬が~」とか「嫉妬なんて見苦しい~」とか、そういう表現を目にします。週刊誌やゴシップ雑誌でも芸能人のやらかしや不仲説を嫉妬に絡めて語られていることがあります。で、小さい頃からそういったメディアに触れていると「嫉妬心を抱くことは悪いことなのではないか」と考える人もそこそこいるんじゃないかなあ、とか思いました。しかし、ぼくは割とこの感情を好意的に見ています。今回の話は、ぼくが考える嫉妬の重要性についてのお話です。

 

嫉妬は行動の原動力になりえる

 一つ前置きをば。これはぼくの経験談なので全てのソースはぼくにあります。大丈夫なのかそれは。

 

 嫉妬するシーンっていうのは結構巷に溢れています。

「顔が良い、妬ましい」「性格がいい、妬ましい」

「話が面白い、妬ましい」「仕事ができる、妬ましい」

「幸せそうにしている、妬ましい」「金持ちだ、妬ましい」

「才能がある、妬ましい」「○○がうまい、妬ましい」etc...

 細分化すればもっと沢山の「妬ましい」が転がっているし、ぼくはこういった感情を不特定多数にばら撒いています。なんかとあるゲームのキャラクターっぽいな。

 で、見出しにあります”嫉妬は行動の原動力になり得る”という話なんですけど。ここでの行動の原動力というのは、主に「仕事が出来る」「勉強が出来る」「○○が上手い」といった、いわゆるスキルへの嫉妬に関するものになります。

 

 自分で言うのもなんですが、ぼくのもともとの能力というのは非常に低いです。頭がいいわけでもなければ顔もよくない、手先も不器用だしユーモアだってありません。センスもない、性格も良くないとないことずくめ。最底辺じゃん。しかしそんなぼくですが、大学でもバイト先でも、あとは所属しているコミュニティ内でも一定の評価をいただいています。とてもありがたいことですね。

 で、なんで評価してもらえてるかといいますと、当然それはぼくが努力しているからなんですね。努力がなければ能力はつきません。能力がない人間は評価されません。ぼくたちはそういった世の中で生きているからです。逆に言えば、それは能力があれば(運も絡むとはいえ)ある程度の評価を受けることは出来るわけです。だから能力をつけようと努力する。まあどんなジャンルでも当たり前のことです。特にスポーツなどの競技をしている人はそれを実感してるんじゃないでしょうか。

 でも、努力って正直面倒くさいんですよね。辛いし好きなことじゃなかった場合は全然楽しくないし疲れるし。そんなことするくらいだったらゲームするなり読書するなりしてダラダラと生きていたいという気持ちがあるのも確かです。しかもモチベーションがないと努力は長く続きません。そして努力をやめたら能力はそこ止まり。なんだろなこのクソゲー。僕だけ放置ゲーみたいに24時間放置してるだけで能力値が上がってたりしないかな。

 では長く努力を続けるために必要なモチベーションをどう維持するか? ここに嫉妬が絡んできます。ようやく本題だよ。

 嫉妬というのは、大体自分よりも能力が上の人間に対して抱くものです。そんで、さっきも言ったようにぼくの能力は元々低い、と。この相乗効果によってですね、ぼくがあらゆる人間に対して嫉妬を抱くようになるんですね。何しろ上にいる人間が沢山いるもんですから。しかもぼく、負けず嫌いなんですよ。なので、”とにかくちょっとでも前にいる人間には負けたくない。だから頑張る。抜いた。気持ちいい。でもまだ前に人がいた。悔しい妬ましい負けたくない。頑張る”……このループが起こります。嫉妬心がある程度弱まらない限り、このループは無限に続くんですよね。それでですね、その嫉妬心がどうやって弱まるかといいますと、それは競争相手をぶっ倒した時の快感によって弱まります。

 出来ると自負しているやつに後ろからにじり寄ってぶち倒す。これに勝る快感は滅多にありません。下剋上は最高のエンターテインメントです。「なあ、ゴミみたいな人間に負けて今どんな気持ち? なあ。んん?」と煽り倒したくなるくらいには気持ちがよくなります。

 そんなことを続けているうちに、いつの間にかある程度のことはなんとか出来るレベルまで到達することが出来ました。レポート文書もきっちり書けるし仕事だって効率よくこなすことが出来るようになってきました。嫉妬はぼくを最底辺から平均レベルへと押し上げてくれたのです。もはや嫉妬とぼくは一心同体、相棒と言っても過言ではないかもしれません。嫉妬サイコー。

 

なぜ嫉妬は見苦しいのか

 先述したように嫉妬は醜かったり見苦しいというイメージがあるんですよね。実際、ぼくも正直嫉妬を抱いているぼく自身のことを見苦しいなと思うことがあります。ただ、多分これって嫉妬そのものではないと思うんですよ。勿論関係はしているんでしょうけど、「嫉妬なんて見苦しい」というのは、正確に言えば嫉妬によって引き起こされる行動が見苦しいってことですよね、知らんけど。で、その行動がたとえば嫌がらせだったり罵倒だったりするわけですよ。そりゃ見苦しいし醜いわな。でも、もし相手に面と向かって「ぼくはあなたに嫉妬している」と言ったとしても、あんまり醜さとか見苦しさとか感じないと思うんです。

 だって嫉妬される側からすれば、「嫉妬しちゃうよ」というのはある意味で手放しの称賛なんですよ。敗北宣言みたいなもんですからね。勝てたら嫉妬なんかそうそうしないでしょうし。勿論「そんなん知らんがな」という人もいるでしょうけど。

 では何故罵倒したり嫌がらせといったムーブが発生するのか。これについてですが、これって変に嫉妬心を隠そうとしたり認めようとしないのが原因なんじゃないかと思います。しかも嫌がらせとかするからそれが周りにはバレバレだっていうね。だっさ。しかもこの隠蔽ムーブが歪んでしまうともっと厄介なことになります。嫌がらせに正義を求めだすんですね。相手が悪で自分は正義だ、自分は悪くない、と自分を正当化しようとするわけです。だっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっさ!!

 

 皆はちゃんと嫉妬を抱いたら「俺、今嫉妬してるな」と受け止めましょうね。

 

全ての人にとって嫉妬がプラスになるわけではない

 これだけは言っておきたいんですけど、「上手くなりたい」とか「これが楽しい」といったモチベーションによってスキルを磨けるのならそっちのほうが断然いいです。当たり前ですね。なにしろ基本の感情がポジティヴですからストレスも溜まりませんし、モチベーションも長続きしますからね。

 なので、この嫉妬=モチベーション論はぼくみたいに色々と歪んだりひねくれた人間向けの思考なんじゃないかなと思います。

 ただ、「嫉妬は見苦しい」「嫉妬はしてはいけないものだ」という言説については完全に誤りだと思います。嫉妬はしてもいいし、ぼくから言わせれば嫉妬はモチベーションなので寧ろガンガンすべきです。ただ、それを変に隠そうとしたり自分で否定するのは良くないよ、というだけです。嫉妬を隠して突っ慳貪な態度とったりするほうがダサいですからね。まだ嫌がらせしちゃって後悔を覚えているうちはいいですけど、発展形は歪んだ正義の戦士です。早めの卒業をオススメします。ほんと、嫉妬隠すのっていいことないですよ。特に顔に出やすい人とかは余計に。

 かといって、無闇矢鱈と「俺、お前に嫉妬してるんだ」っていうのもやめましょうね。どこのドラマだよ、となりますし、間違いなく変な奴だと思われます。嫉妬を打ち明けるのは気の知れた仲間内にするのがオススメです。心を開いてくれたと相手も感じてくれるので友情ポイントが増します。Win-Winってやつですね。ちなみにぼくは自他ともに認める変な奴なので「嫉妬するわ」って割と言ってます。今の所「きっしょ」などといった罵倒は受け取っていないので一安心ですね。

 

 キモい自分語りをしたところで今回はここまで。言いたいことがごちゃごちゃになっちゃったので要改善ですね。そんじゃ、また。

心の保ち方、というお話。

 どうも、あしゅです。なんか急に暑くなってきましたが皆さんは元気ですか、ぼくは全然元気じゃないです。

 

 令和になってから色々と波乱がありまして、現在かなりメンタルがゴリゴリと削られている状態です。体調が悪いとかバイトでの事とか大学でのこととか、まあその他にも色々とあったんですけど。とにかく今はとても心が傷ついているというか、しんどいんですよね。心身ともに満身創痍に近い状況です。

 さてそんな時、どうすればいいか。というかぼくはどうしているのか。今回はそんなことについて考えていこうと思います。

 

 心がしんどい時。まずすることは原因の特定です。いきなり対策を考えたりしてみても、そもそも原因が分からないと結果遠回りになることもあるのでこういうのは順序立てていくのが大切だったりします。今回でいうと、先述した体調バイト大学その他色々な出来事ですね。

 次に、その原因とはどのようなものかということを考えていきます。体調に関しては主に身体の問題なので、まあ「風邪をひいた」とか「肺炎にかかった」とかですね。バイト関係ではクソみたいな客がきて混乱させられた、とか。大学の出来事では卒論のテーマとかゼミ決めなきゃとかグループワークの人間が使えねえとかグループワークの班員に悪い意味で期待を裏切られたとかグループワークの班員のせいでぼくの仕事ばかり増えるとかグループワークの(ry

 さてはこれ、主な病源は大学関係だな?

 

 

 そうそう、最近周りで「『原因』と『理由』って同じ意味じゃないの?」という疑問がよく挙がります。どんな周りやねん、というツッコミはさておき。「原因」と「理由」って感じは似てるんですけど、言葉が異なる以上意味もちょっと違ってて。原因は、その「出来事が何故起こったのか」という趣旨で使われます。そして理由は「誰かが起こした行動の説明」として使われることが殆どだと思うんですよ。なので、「ぼくはこうこうこういうことがあったから心がしんどくなった」という文章であれば”こうこうこういうこと”は「理由」で、「心がしんどくなった。原因はこれこれだ」の”これこれ”が「原因」ですね。う~~~~~~ん、自分で説明してもよくわかんないな? 視点の違い、とか言い回しの違い、とか色々言っても多分こんがらがりますよね。どうやって説明したら伝わるんでしょうかこれ。難しいなあ。

 

 閑話休題。そういう話は別でやろうね?

 最後に対策です。自分の心を守るために、あるいは壊さないためにどうすればいいか。まずは体調。

 

寝ろ!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 以上!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 バイトに関してはどうしよう。ココ最近、転売屋やら日本語を理解してくれない日本人とかが結構来るのでこれに関しては慣れるしかないんですけど、それって対策と言えるかどうかって話なんですよ。長期的に見ればそりゃ対策ですけど、慣れるまではどうすればいいんだよっていう。無表情を貫いたら”怒られ”が発生する職場にいるので笑顔は作らなければいけません。でも本能で動く客が多いといくらなんでも笑顔を保つことも出来なくなるわけで。そんな、全員F1レーサーじゃねえの? ってくらい人間性の破滅に向けてアクセルぶっちぎってるような奴ら相手にどうするか。

 

詰んだか??????辞めるか????(Vのオタク要素)

 

  やめません。少なくとも次のバイト先の候補が決まるまでは辞めらんない。

 

 大学関係。

 

 あきらめた\ (^ q ^ )/ どうせ最終的には個人でやることになるんだ、後の面倒は見ません。勝手にやってくれ。ぜってー手伝わねーからな、クソが!

 

 とまあ、このように人間性を保つためにぼくがやっているプロセスを紹介しました。でもこれ、寝ろだの詰んだだの諦めろだの、あんまり解決にはなってなさそうだな?

 

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???「でもそれって、本質的な解決にはなってませんよね?」

 

ぼく「はい。。。(言い返せない)」


 あ、そうそう。欲求不満時の発散行動は割と心を守るうえでの対策の一つだったりします。というかかなり有効だと個人的には思います。だから要はストレス発散ですよね。落ち着く音楽や好きな音楽を聞くもよし、運動をするもよし、あるいはクッションを殴ってみたりするもよし。人によって合った発散方法というものがあるので是非色々試してみて欲しいなと思います。

 

 生きづらい世の中ですが、人生をしっかりやっていきましょうね。そんじゃ、また。

連休明けは気をつけよう、というお話。

 どうも、あしゅです。10連休はどうでしたか? ぼくは殆ど休めてないです。休みくれ。

 

 さて、多くの学生は連休を満喫できたことかと思います。でも連休明けはどうしても緩みがちなので気を引き締めましょう。サボったら習慣化してしまいます。ソースは……周りに沢山いますね。

 

 ちなみに、もしサボリが常習化してしまった場合、以下のようになります。

 

 

 

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 いやせめてもうちょっと色塗り頑張れよって話だな? なんか色々ペタペタした跡が残っててめっちゃ汚いんだけど。

 ……まあ、こうなっちゃうよということです。クソコラ画像で思い出を汚された方、ぼくもこの画像で思い出を汚されているのでそれでおあいこってことでお願いします。そんじゃ、また。

 

パワプロクンポケットの話。

 どうも、あしゅです。最近人生を楽に生きるコツなるものを2つも見つけました。「周りに流されながら群れで行動すること」と「感情に任せた言動を沢山すること」です。……あの、それなんて無理ゲー?両方不向きなんだけど。

 

 どうやら今年でパワポケ20周年だそうなので、今日はパワポケについてのお話をしようと思います。そんなに長くならないよ。

 

 パワポケは1~14までのナンバリングがありますが、皆さんが一番プレイしたナンバリングは何でしたか?

 こう聞かれた時、「うーん、表サクセスばっかりやってたからなあ……」「俺アレは裏しかしてねえし……」「センシュクラッチ無限にやってた」みたいな感じで色々と迷うかと思われるので(ソースはぼく)、「表サクセスだけ」「裏サクセスだけ」「全部含めて」で分けてみましょう。

 ちなみに「表サクセスだけ」だった場合、ぼくの答えはパワポケ10です。バトルディッガー編が当時のぼくにとっては難しすぎたのもあり、ひたすら表だけやってました。彼女候補もどっかの11とは違って殆どが魅力的な子達ばかりで、ライバルになる天道との絡みもアツく、そして仲間キャラクターも面白い奴ばかりでした。特に某FOOLドライブとか。

 「裏サクセスだけ」だった場合の答えは恐らくポケ12になるかと思われます。11と迷ったけど多分こっち。やー、秘密結社編は傑作でしたね。全員加入チャートを自分で組んで何回も試行錯誤しながら1章を繰り返し、またある時はクエストバグを使い……表サクセスがアレ(オブラート)だったのもあり、よりハマった作品でした。

 そして「表裏含めて」「全てのモードを含めて」となった場合、出てくるのはポケ13です。表も裏も傑作ってハッキリわかんだね。10ほど表はやりこんでないし12ほど裏をやりこんだわけじゃないですが、表と裏を総合すると13が1位になります。ポケ10裏は難しかったし12表はアレだったのが原因だと思うんですけど(名推理)。まあ、とにかく楽しかった。

 

 さて、パワポケは「野球のできるギャルゲー」と呼ばれています。それくらい彼女候補とのストーリーが充実しているんですね。ぼくは博多テキストにおける文章の杜撰さと彼女の可愛さ、あまあまからシリアスへの急転直下具合が大好きだったので好きな彼女候補ももれなく緑髪でした。7のリコ、8の茜、9の唯織、10の高科姉妹、13のあさゆらですね。「は? 可愛すぎやろお前らなんなん」って感じでした。ぼく、小学校の頃から限界オタクの片鱗を見せていた可能性。やだ、(昔の自分が)こわい……。

  他にも色々な彼女キャラがいますよ。BADで自爆したり、縦読みで助けを求めてきたり、脳みそだけで管理されるようになったり、画面の向こうから出てこなくなったり、幽霊だったり犬だったり病気で死んだり洗脳されたり化物になってたり殺されたり殺されたり死んだり以下略。……いやあ、魅力的な彼女たちですね!!

 

 また、野球のできるギャルゲー、などと呼ばれるのにはもう一つ理由があって。単純に野球要素がそんなに上手にできてないんですよね。特に7とか8とか。なんだアレ。10からは多少マシになったのかな? でもやっぱりイベント見るほうが面白いです。パワポケシミュレーションゲームだった……? いや、でも裏サクセスがめちゃくちゃおもしろい作品も多かったしやはりパワポケRPGなのでは? ほら、本家にもダン&ジョン高校とか実装されたし。

 

 もういいや。

 

 

 

 イナズマイレブンでは「1,2,3! 円堂守伝説」が発売していましたし、ポケモンオメガルビーアルファサファイアみたいな感じでアレンジ交えながらリメイクもしているので、パワポケも新作はいいからリメイク出してくれませんかね。ぼくは待ってます。

 そんなわけで今回はここまで。珍しく文章が短かったですね。そんじゃ、また。

趣味の話。

 どうも、あしゅです。もう4月なのにまだまだ寒い日が多くて文字通り震え上がってます。皆さんは今何をしていますか? ぼくは人生をしています。たまに人生じゃないことをしたいんですけど、それには人でなくなる必要があるので難しいですね。あ、でもぼくの今年の目標は「人間になること」でした。あれえ……?

 

 今回は趣味の話をしようと思います。なぜかと言いますと、忘却が怖いからです。

 ぼくは割と色々なものに手を出しているのですが、如何せん長続きすることが滅多にありません。熱しにくく冷めやすい、非常にどうしようもない性格です。一度熱が入っても「どうせこれって○○して終わりだし、それなら別のことをしたほうが……」などと考えてしまうんですね。そんなぼくがぼくは嫌いです。ま、こうなっちゃったものは仕方ないので人生をがんばりつつ、過去を振り返って死にたくなっていきましょう。

 

 小学生の頃はとにかく男の子向けのアニメが好きでした。"ドラゴンボールZ"とか”NARUTO"とか、あとは”史上最強の弟子ケンイチ”も好きだったなあ。兎に角家に帰って宿題やったら即テレビの前に座ってANIMAXとKIDS STATIONを交互に見ていた記憶があります。でも高学年くらいになったらそれに加えてローゼンメイデンなんかも見るようになりましたよ、なんでだろうね。

 ゲームもこれまた沢山しました。ドラクエは8まで全作をプレイしましたし、”MOTHER"シリーズや”スーパーロボット大戦”シリーズも沢山沢山やりました。あとはなんだろう、”す~ぱ~ぷよぷよSFC)”もかなりやりこんでましたね。アクションシミュRPGパズル格闘など、家にあったゲームは兎に角片端からクリアしていってました。当時唯一クリア出来なかったのがDC版スパロボαですかね。お前(動作が)重いんだよ!

 

 中学生。黒歴史時代でもあります。今とは路線の違う、純粋なキモ・オタクをやっていた3年間でした。全部東方Projectのんのんびよりとネット小説が悪い(責任転嫁)。性格もまーもうなんというかThe・オタクみたいな。クソキモチビ、みたいな。うん、次行きましょうか。多分今の熱しやすく冷めやすい性質が形成されたのはこの時期です。

 でも一応いいこともあったんですよ? この時代がなかったら多分ぼくは今みたいにPC扱えるようにはなってないでしょうし、キモ・オタク時代のおかげで出会えた人たちだっています。消したいのは自分の悪しき在り方だけです。もし逆行したらターニングポイントはここになると思う。あれ、趣味の話なのに自分Disになったぞ。

 

 高校生。黒歴史時代を脱出し、ただの陰キャへと進歩()しました。いぇ~い。

 この時期はとにかくひたすらDS版”ぷよぷよ!!”をやってました。ぷよぷよ(初代)のWi-fi対戦でレートカンストしたのはこの時かな。また、この時期からぼくは馬の骨になりました。「どういうことなの……」というひとは「馬骨 平沢」でググるかヤホるかサファるかしようね。あとはそうですね、いろんなソシャゲに手を出しました。パズドラモンストFGO白猫ケリ姫グリモアファンキルetc...ま、今はどれも続いてないんですけど。

 

 そんなこんなで結局ほぼ全ての趣味を浅くしか触れていないぼくですが、なんと今でも続いている趣味があります。ズバリ、「野球観戦」と「音楽鑑賞(そんな崇高なもんじゃないけど)」、「文を書くこと」です。

 

 まず野球観戦ですが、今年で多分ファン16年目に突入いたしますよ。ベテラン名乗りたいんですけど、高卒の選手が34歳って考えたらもしかしたら中堅域なのかも?

 あ、ドラゴンズファンです。ちなみに小中高大と経た人生の中で周りにぼく以外のドラゴンズファンは一人もいません(オフ会等ネット関係で出会った人を除く)。つまりぼくってばウルトラにレアな人間ってことになりますね。フッ、おれのことは竜専のはぐれメタルとでも呼んでくれ。……ごめん、やっぱなしで。

 

 次、音楽鑑賞。これまた雑食というかなんというか、基本的にはアーティストとかジャンルとか問わず色々なものを聞きます。そんで好きな曲だけ記憶に残してあとはバイバイって感じ。昔の洋楽からJ-POP、ゲームのサウンドトラックにクラシック、ジャズ、その他モロモロ。いろんな音がぼくの中で心地よく響いています。ただやっぱり苦手な曲もあって。「この歌をぼくに聴かせるな~~~~~~!!!!!!」などとマジギレしたいときもあったりなかったりします。例えばラブラブ♡ビックバンとか

 

 そして文を書くこと。ふと思いついたり、考えたことをPCのメモ帳やノートに書くのが大好きです。日記をつけたりするのも好きです。大抵はとりとめのない支離滅裂な文章なんですけど、それがまたぼくらしくて面白い。まあ、文章はへったくそなんですけどね。でも多分文章力が全く上達しないのは上達する気がないからなのかもしれません。もし真面目に文章力を上げようとすると、もしかしたらその支離滅裂な文章に不満を持ってしまうかもしれない。そうなったら、きっと二度と書けなくなってしまうような気がするんです。

 ぼくは歌が下手だし語彙力がないのでぼくの世界を歌えません。絵を描くのが下手だし不器用なのでぼくの世界を描けません。だけど、文字という形であればぼくはぼくの世界を書き残すことが出来るんですね。それがたとえ下手な文章であっても、”ぼくの世界”は書けるんです。寧ろ、下手に上手いとぼくの世界の描写に何万字かかることやら。だからぼくは下手な文を書くことが好きです。

 

 はい、以上で回想シーン終わり。なんか最後にくっさい言葉がありましたけど無視してくれていいです。ちなみによく自己紹介のときに無難な立ち位置を狙って使われる「読書」ですけれども、ぼくにとって読書は趣味ではなく習慣なので出しませんでした。

 

 ま、ときには自分を振り返ってみるのもいいんじゃないですかね(オチが思いつかなかった)。死にたくならないようにだけ気をつけてください。そんじゃ、また。

日本語は難しすぎる、というお話。

 どうも、あしゅです。花粉の季節ですね(瀕死)。

 

 さて、最近Twitterとか小説サイト、その他色々なサイトを見ていると、実感する……というか、いつも考えることがあります。

 

「日本語、難しいよなあ」

 

 というものです。

 

 この「日本語が難しい」というのは、ハイコンテクストが云々、とかいった小難しいことではなくって、要は読解能力の問題です。まあ何が言いたいのかといいますと、つまり「頭の悪い人間に日本語は向いていない」ってことですよ。目立って炎上したりしたらヤなので強調はしません。

 これ日本語っていうか日本という社会における問題かもしれないんですけど、日本人って直接的な表現が苦手な人凄く多いと思うんです。故に、暗喩を入れたり言葉の裏を読ませたり、などといった、間接的な読解を相手に望むわけですね。

 

 でもね、ぼくもこれは最近気づいたことなんですけど。

 それ出来るの、ある程度日本語の読解能力がある人だけなんですよ。

 

「いや、日本人ならみんな読めるだろそんくらい」……と思った人がいたりいなかったりするかもしれませんが、そうじゃないんです。いるんですよ、日本語が読めない日本人。しかも割とたくさん。

 「あからさまな皮肉じゃないか」って言葉を、皮肉だと気づかない人がいる。

 「こう読み取ってほしい」という言葉の1割しか読み取れない人がいる。

 「○○だよ」という言葉を「□□だよ」と受け取る人がいる。

 

 それはASD発達障害など、コミュニケーションに支障が発生する障害を持っている人ではありません。れっきとした健常者です。

 

 

 そんな日本語読めない問題ですが、それって結局読解能力、つまり頭の出来なんですよ。 

  ぶっちゃけ読解能力のない人にいくらあれこれ言っても無駄なんですよね、通じないから。傷つけないように、とか陰湿に、とか全部意味ないです。ハッキリ言わないと理解してもらえません。

 しかし日本語というのはこれまた面倒くさい言語でして、暗な意味を含む表現が結構多い。多分これは昔からの文化、例えば俳句や短歌のような短い文字数でいかに美しく表現をするか……みたいなものが影響してるとぼくは勝手に思ってるんですけどどうなんですかね。それにあまりに直球すぎる物言いは、仲の良い友人等ならまだしも初対面、もしくはあまり普段交流がない人に向けるにはあまりにも不適当です。いや、やっちゃダメってわけじゃなくて敵を作ると色々と面倒くさいぞ、という意味で。そのため、工夫をする必要があるわけですね。

 

 また、日本語が読めない人には種類があって、1つは先述した「読解能力がない」人たち。そしてもう1つが、「勝手にブッ飛んだ翻訳をしてしまう」人です。

  「読解能力がない」人たちについては、正直そこまで苦労はしません。前述したようにいくらか工夫は必要ですが、言葉に自分の意図を素直に載せていけば割となんとかなります。経験した限りでは、ですけど。

 ただ、「勝手にブッ飛んだ翻訳をしてしまう」人。これがメチャクチャ厄介でして。直接的な物言いをしてもその言葉の意図をあらぬ方向に持っていかれるんですよね。こういった人が周りにいると「なんでそうなるのだろう?」といった疑問を持つ経験を沢山積むことが出来ます(ポジティブシンキング)。アイツらの翻訳機能バグってんじゃねえの

多分彼らは日本語が読めない のではなく、日本語を読んでない に近いんじゃないかなと思います。無意識で文意を捻じ曲げてたりするんですかね、ただぼくはこの人たちに関しては何も理解が出来ません。なのであんまり触れないでおきます。

 

 さて、そんな彼らへの対策ですが……もうさ、英語使おうぜ英語。日本語に比べればいくらか直接的だし、グローバル化社会にもついていけるじゃないですか。なので頑張って英会話を勉強して、日本語が通じない人たちには英語で話してみましょう。

 

 

 ……日本語で話すよりもっと読み取ってもらえないでしょうけど() 

 

 やっぱり日本語って難しいですね、ぼくの文章も大概下手くそだ。 そんじゃ、また。

 

主張と自己の同一視についての軽いお話。

 どうも、あしゅです。実はぼく、このブログ出来るだけ毎日更新するつもりだったんですよ。笑えますね。あーあ、一日が40時間くらいあれば毎日更新出来るんだけどな。あとグラブルのイベントとイベントの間がもう少し空いてくれればもっと更新出来るんだけどな。あと、スマブラSPの(以下見苦しい言い訳が続く

 

 いきなりですけど、皆様は好きなものとか好きなことはありますか? あるいは、好きな人とかいたりしますか? そして、もしその自分の好きなこと(もの、人)が見知らぬ誰かに否定された(「俺はこれ嫌い」などと言われた)時、どう思いますか? もしそんな時、まるで自分が否定されたように強く感じたりする人は、気持ちは分からんでもないんだけどちょっと待ってくれ。 今回は大体こんな感じのお話です。多分ね。

 

 さて、まずは恒例の自分語りから。これをするためにぼくは記事を書いているようなものです。ホラ、自己顕示欲の発散だから。

 

 ぼくは自分の好きな人(推し)や好きなことが否定されても「はぁ、そうですか」としかいいません。勿論目の前で言われりゃそりゃ不愉快にはなりますけど、だからといってその人に食って掛かろうなどとは思いません。「ふーん、この人分かってないな」って思うだけです。なので、そういう時は距離を取ったりしてお互いに干渉しないことを心がけています。

 

 この不干渉っていうのは、最も効果のある自衛だとぼくは思ってて。特に地雷原が多めのぼくみたいな人とかにとっては余計に効果アリです。

 例えば、この下の画像。これ、10月6日時点のぼくのミュートワードなんですけど(今はもっと増えています)。

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ミュート画面

 この時、TwitterやPixiv等において、めちゃくちゃクッパ姫やらキングテレサ姫やらが流行しました。一瞬で廃れましたけどね。クッパ姫超好き~! とか言ってた絵師が2週間後には別の流行りモノに浮気してたりして思わず笑った記憶があります。ああ、こいつらの「超好き」とか「最高」ってこの程度なんだなってぼくは思いましたね。そもそも「好き」というのが建前でバズってフォロワー増やしたい、が本音だという可能性も高いですけど。

 あと、「俺の嫁」って概念あるじゃないですか、めっちゃキモいですけど。因みにぼくにもいます。うわキモ……。 あれが何人もいたりするような人間は本質的にミーハー絵師と同じ人種だと思っています。それが直近のアニメ関連だった時にはもうオワリですね。救いようがない。ブロックです、さいなら。

「超好き」なのに「一瞬で描かなくなる」んですよ。「俺の嫁」なのに「何人もいる」んですよ。いや、アンタらの基準どうなってんだって。 すぐ好きになったり興味なくしたりって忙しすぎる。

「嫁」は一人でしょう。「好き」なら長い間入れ込むでしょう。え、違うの? 僕が重いだけ?

 

 ……って、だいぶ本題からズレてるー。閑話休題

 話を戻しまして。こういった価値観の合わない人や嫌いなジャンル、あと地雷カプ(とても重要)を遠ざけるために、ぼくはミュートやブロックを割と多用してます。

 正直、ぼくは彼らのその価値観が嫌いだし、消え去ってほしいとさえ思います。……だけど、彼ら彼女らはぼくに暴言を吐いているわけではありません。ぼくのような考えを持つ人がいると知っていながら嫌がらせでやっているわけでも勿論ありません。彼らはただ小さな子どものように純粋に、「その時好きなもの」を好いているのです。なので、ここでぼくから彼らに暴言等のアクションを起こす、といった事はしたくない。そんなことをしてしまえば、ぼくはただのレベルの低い人間になってしまいますし、何より人間は一般化が好きな生物なのでぼくが暴言を吐く事でぼくの好きなものに悪いイメージがつく可能性を考えると、中々そういったことは出来ません。いや、まあ元からレベルは低いんだけどさ。

 そのため、ミュートやブロックをすることで彼らを遮断することができ、ぼくは心の安寧を得られ、暴言を吐かずに済むわけです。不満は言うけど。

 以上、そんなわけで不干渉オススメだよ、って話でした。

 

 

 というわけで本題、自己と主張の同一視について。とは言っても、序文が長くなったのでそこまで長くする気はありません。

 

 これ、多分皆様の周りにもいると思うんですけど(もしかしたら皆様の中にいるやも)、「主張に異議を唱えられたら自分を否定されたかのように怒る人」って結構多くて。「いや、違うって。ぼくは貴方の意見に反対してるだけで、別に貴方を否定してるわけじゃないよ」と言っても中々聞き入れてもらえません。……ぼくの普段の振る舞いが原因なのでは、だって? うーん、否定出来ないかもしれない。

 

 さて、そもそも何故自分の主張と自分を同一視してしまいがちなのでしょうか。

 

 例えば、関西人がよく文末に「知らんけど」を使う理由は、自分が傷つきたくないからなんですね。多分。「不確かな情報だけど」というワンクッションを入れることで、もしもその情報や考えが間違っていた時の言い訳とすることが出来るわけです。つまり逃げ道なんですね、「知らんけど」って。まあ知らんけど

 そして、何故傷つくのを恐れるのかというと、やはりそれは「自分の主張が否定された時、まるで自分が否定されたかのように感じているから」なのではないか、と考えます。先程「知らんけど」は逃げ道だと言いましたが、これは「知らんけど」が、もし自分の考えが否定された時のダメージを抑える、あるいは受け流す役割を担っているからなのです。

 

 で、この「自分の主張が否定されると自分が否定されたように感じる」って現象、正直気持ちは分からなくはないんです。だけど、好みが違う友達だって考え方が違う友達だっているじゃないですか。彼らの考え方や好みには賛同出来るわけじゃないけれど、それでも友達やめる、とまではいかないでしょう? や、知らんけども。

 あ、考え方が違う友達がいないって人は別です。それは素直に凄いと思います。ぼくの周り、みーんな考え方とか好みとかまるで違ってたまげるレベルなので。

 

 だから、どんなにソレが受け入れづらくても、まずは一旦他人の考えを聞いて、その上で反論する。これが会話のあるべき形なんじゃないかとぼくは思ってます。一番駄目なのは自分が正しいと思いこむことですからね。いくら自分と価値観が違っていても、相手なりのオリジナルの考え方があるならば、それはキチンと聞くべきです。そんで自分の理論で殴れ。殴り○せ。わからせてやれ。

 

 あ、好き嫌いの話になった場合は別です。議論の時は理屈で殴らなきゃダメですよ?議論に感情持ち込んじゃダメでしょ。それは変に大義を振りかざすんじゃなくて、感情論として「自分はそれが気に入らない」って言うべきです。……言うべきなんですけど。いるんですよ、ただ自分が嫌いなだけなのにその感情論に説得力を持たせるために群衆の力を借りようとする輩。こういう人めちゃくちゃ多いんですよねえ。ぼくは大ッ嫌いですけどそういう人間。気に入らないから。これは好き嫌いなので理屈はありません。

 自分の理論の穴を突かれる、というのは、ある意味で自分がまだレベルアップ出来るということでもあります。失敗は成功の母とも言います、痛いところを突かれ続けることは挫折の元でもありますが研鑽するモチベーションにもなります。挫折か研鑽かを選ぶのは自分次第ですが、どうせなら研鑽を選んでレスバトルに強くなっていきましょう。ここめっちゃ自己啓発本にありそうな文章ですね。意識高そう。

 

 じゃ、頭悪そうな文章を並べたところで今回はここまで。そんじゃ、また。