自己顕示欲発散マシーン

タイトルで全てが解る

嫉妬のお話。

 どうも、あしゅです。忙しさがMAXになっていました。まえがきのネタも今はないので、とっとと言いたいこと言おうと思います。

 

嫉妬という感情

 皆さんは「嫉妬」という感情を覚えたことがあるでしょうか。ぼくは四六時中嫉妬心を抱いています。まあ、嫉妬をしたことがない人のほうが珍しいんじゃないかなと思うくらいにはよくある感情だとは思います。なのでここは別に重要じゃないです。もっと重要なのは次のこと。

 嫉妬心を抑えようとしたことはありますか?

 よくドラマやアニメ、また小説等で「醜い嫉妬が~」とか「嫉妬なんて見苦しい~」とか、そういう表現を目にします。週刊誌やゴシップ雑誌でも芸能人のやらかしや不仲説を嫉妬に絡めて語られていることがあります。で、小さい頃からそういったメディアに触れていると「嫉妬心を抱くことは悪いことなのではないか」と考える人もそこそこいるんじゃないかなあ、とか思いました。しかし、ぼくは割とこの感情を好意的に見ています。今回の話は、ぼくが考える嫉妬の重要性についてのお話です。

 

嫉妬は行動の原動力になりえる

 一つ前置きをば。これはぼくの経験談なので全てのソースはぼくにあります。大丈夫なのかそれは。

 

 嫉妬するシーンっていうのは結構巷に溢れています。

「顔が良い、妬ましい」「性格がいい、妬ましい」

「話が面白い、妬ましい」「仕事ができる、妬ましい」

「幸せそうにしている、妬ましい」「金持ちだ、妬ましい」

「才能がある、妬ましい」「○○がうまい、妬ましい」etc...

 細分化すればもっと沢山の「妬ましい」が転がっているし、ぼくはこういった感情を不特定多数にばら撒いています。なんかとあるゲームのキャラクターっぽいな。

 で、見出しにあります”嫉妬は行動の原動力になり得る”という話なんですけど。ここでの行動の原動力というのは、主に「仕事が出来る」「勉強が出来る」「○○が上手い」といった、いわゆるスキルへの嫉妬に関するものになります。

 

 自分で言うのもなんですが、ぼくのもともとの能力というのは非常に低いです。頭がいいわけでもなければ顔もよくない、手先も不器用だしユーモアだってありません。センスもない、性格も良くないとないことずくめ。最底辺じゃん。しかしそんなぼくですが、大学でもバイト先でも、あとは所属しているコミュニティ内でも一定の評価をいただいています。とてもありがたいことですね。

 で、なんで評価してもらえてるかといいますと、当然それはぼくが努力しているからなんですね。努力がなければ能力はつきません。能力がない人間は評価されません。ぼくたちはそういった世の中で生きているからです。逆に言えば、それは能力があれば(運も絡むとはいえ)ある程度の評価を受けることは出来るわけです。だから能力をつけようと努力する。まあどんなジャンルでも当たり前のことです。特にスポーツなどの競技をしている人はそれを実感してるんじゃないでしょうか。

 でも、努力って正直面倒くさいんですよね。辛いし好きなことじゃなかった場合は全然楽しくないし疲れるし。そんなことするくらいだったらゲームするなり読書するなりしてダラダラと生きていたいという気持ちがあるのも確かです。しかもモチベーションがないと努力は長く続きません。そして努力をやめたら能力はそこ止まり。なんだろなこのクソゲー。僕だけ放置ゲーみたいに24時間放置してるだけで能力値が上がってたりしないかな。

 では長く努力を続けるために必要なモチベーションをどう維持するか? ここに嫉妬が絡んできます。ようやく本題だよ。

 嫉妬というのは、大体自分よりも能力が上の人間に対して抱くものです。そんで、さっきも言ったようにぼくの能力は元々低い、と。この相乗効果によってですね、ぼくがあらゆる人間に対して嫉妬を抱くようになるんですね。何しろ上にいる人間が沢山いるもんですから。しかもぼく、負けず嫌いなんですよ。なので、”とにかくちょっとでも前にいる人間には負けたくない。だから頑張る。抜いた。気持ちいい。でもまだ前に人がいた。悔しい妬ましい負けたくない。頑張る”……このループが起こります。嫉妬心がある程度弱まらない限り、このループは無限に続くんですよね。それでですね、その嫉妬心がどうやって弱まるかといいますと、それは競争相手をぶっ倒した時の快感によって弱まります。

 出来ると自負しているやつに後ろからにじり寄ってぶち倒す。これに勝る快感は滅多にありません。下剋上は最高のエンターテインメントです。「なあ、ゴミみたいな人間に負けて今どんな気持ち? なあ。んん?」と煽り倒したくなるくらいには気持ちがよくなります。

 そんなことを続けているうちに、いつの間にかある程度のことはなんとか出来るレベルまで到達することが出来ました。レポート文書もきっちり書けるし仕事だって効率よくこなすことが出来るようになってきました。嫉妬はぼくを最底辺から平均レベルへと押し上げてくれたのです。もはや嫉妬とぼくは一心同体、相棒と言っても過言ではないかもしれません。嫉妬サイコー。

 

なぜ嫉妬は見苦しいのか

 先述したように嫉妬は醜かったり見苦しいというイメージがあるんですよね。実際、ぼくも正直嫉妬を抱いているぼく自身のことを見苦しいなと思うことがあります。ただ、多分これって嫉妬そのものではないと思うんですよ。勿論関係はしているんでしょうけど、「嫉妬なんて見苦しい」というのは、正確に言えば嫉妬によって引き起こされる行動が見苦しいってことですよね、知らんけど。で、その行動がたとえば嫌がらせだったり罵倒だったりするわけですよ。そりゃ見苦しいし醜いわな。でも、もし相手に面と向かって「ぼくはあなたに嫉妬している」と言ったとしても、あんまり醜さとか見苦しさとか感じないと思うんです。

 だって嫉妬される側からすれば、「嫉妬しちゃうよ」というのはある意味で手放しの称賛なんですよ。敗北宣言みたいなもんですからね。勝てたら嫉妬なんかそうそうしないでしょうし。勿論「そんなん知らんがな」という人もいるでしょうけど。

 では何故罵倒したり嫌がらせといったムーブが発生するのか。これについてですが、これって変に嫉妬心を隠そうとしたり認めようとしないのが原因なんじゃないかと思います。しかも嫌がらせとかするからそれが周りにはバレバレだっていうね。だっさ。しかもこの隠蔽ムーブが歪んでしまうともっと厄介なことになります。嫌がらせに正義を求めだすんですね。相手が悪で自分は正義だ、自分は悪くない、と自分を正当化しようとするわけです。だっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっさ!!

 

 皆はちゃんと嫉妬を抱いたら「俺、今嫉妬してるな」と受け止めましょうね。

 

全ての人にとって嫉妬がプラスになるわけではない

 これだけは言っておきたいんですけど、「上手くなりたい」とか「これが楽しい」といったモチベーションによってスキルを磨けるのならそっちのほうが断然いいです。当たり前ですね。なにしろ基本の感情がポジティヴですからストレスも溜まりませんし、モチベーションも長続きしますからね。

 なので、この嫉妬=モチベーション論はぼくみたいに色々と歪んだりひねくれた人間向けの思考なんじゃないかなと思います。

 ただ、「嫉妬は見苦しい」「嫉妬はしてはいけないものだ」という言説については完全に誤りだと思います。嫉妬はしてもいいし、ぼくから言わせれば嫉妬はモチベーションなので寧ろガンガンすべきです。ただ、それを変に隠そうとしたり自分で否定するのは良くないよ、というだけです。嫉妬を隠して突っ慳貪な態度とったりするほうがダサいですからね。まだ嫌がらせしちゃって後悔を覚えているうちはいいですけど、発展形は歪んだ正義の戦士です。早めの卒業をオススメします。ほんと、嫉妬隠すのっていいことないですよ。特に顔に出やすい人とかは余計に。

 かといって、無闇矢鱈と「俺、お前に嫉妬してるんだ」っていうのもやめましょうね。どこのドラマだよ、となりますし、間違いなく変な奴だと思われます。嫉妬を打ち明けるのは気の知れた仲間内にするのがオススメです。心を開いてくれたと相手も感じてくれるので友情ポイントが増します。Win-Winってやつですね。ちなみにぼくは自他ともに認める変な奴なので「嫉妬するわ」って割と言ってます。今の所「きっしょ」などといった罵倒は受け取っていないので一安心ですね。

 

 キモい自分語りをしたところで今回はここまで。言いたいことがごちゃごちゃになっちゃったので要改善ですね。そんじゃ、また。