自己顕示欲発散マシーン

タイトルで全てが解る

「友達ってどこから?」というお話。

 どうも、あしゅです。毎日更新したいなーとか思ってたけどフツーに忙しすぎて無理でした。つらい。

 ちょっと前回変に語っちゃったので今回はもうちょい抽象的なお話でぼくの自己顕示欲を発散しようとおもいます。今回は友達についてのお話。

 

 小さい頃は一回遊べば友達になれたのに、大きくなるにつれてふと疑問が浮かびます。

「友達の基準って、なんだろうか?」

 

 ちょうど思春期とかになるとこういう事考える人、増えるんじゃないですかね。皆さんの友達の基準はなんでしょうか。凄くハードルが低かったり、若しくは高かったり。そのへんはホント個人差ですからなんとも言えませんけど。

 

なぜこの題材を選んだかといいますと、最近Twitterで『「本当の友達ってどうやったらできるの?」という質問に鴻上尚史氏が回答をしている』記事を紹介しているTweetを見かけたからです。ややこしすぎ! で、この鴻上尚史という方の考え方がぼくは好きなんです。この方の著書が思春期のぼくの在り方を決めたと言っても過言ではないくらいには好きです。なので改めてぼく自身も「本当の友達ってなんだ?」「そもそも友達ってなんだ? 友達になるにはどうしたらいい?」ということについて考えようと思った次第。

 

  ↓この記事です。めちゃくちゃいいので是非見てください

dot.asahi.com

 

 さて、まず初めに自分語りからしようと思います。ぼくは割と周りの人間に恵まれている奴でして、結構遊びとかに誘ってもらったりもしています。でも、何回もおしゃべりをしたりご飯を食べたり遊びに行ってたりするから仲は良いはず、なのについ気にしてしまう事があります。「もしかしたらあっちは無理にぼくに合わせてくれているだけど、本当はぼくのことが好きじゃないんじゃないだろうか?」と思ってしまうのですね。なので、ぼくの友達の基準の1つは「自分が相手と友達になりたいと思っていて相手が友達だと思ってくれていれば友達」です。すげーネガティヴ。ちなみにぼくの「友達になりたい」のハードルはとても高いです。人の好き嫌いが激しいからね。

 

 閑話休題

 

 で、友達になるにはって話なんですけど。そのためには、「友達になりたい」という感情が生まれるキッカケというものが必要だと思っています。例えば下のように、

・趣味が合う(もしくは共通の話題がある)

・波長が合う(なんとなく過ごしやすいとか)

・何回か一緒に遊んだりして親睦を深める

・どうしてかは知らないがいつの間にか仲良くなってた(例外)

 ……他になんかキッカケあるっけ。ぼくは友達が少ないので他に思いつかないです。思いついた人は各自で補完してください。

 これらのキッカケをベースに、相手を自分の「友達の基準」と照らし合わせたりすればいいんじゃないでしょうか。

 ココらへん最適な言葉が思い浮かばなかったのですごく曖昧です。今後修正あるな?

 

 

 次、「本当の友達ってなんだ?」ということ。

 

 これに関してのぼくなりの答えは「友達だよ」です。……「は?」ってなるよな、わかるわかる。でも待って、ぼくにも言い分があるんです。

 えっと、まず。「本当の友達」という概念が、とある人間の中に存在しているとすれば、その人の中には当然「偽物の友達」も存在します。本物ばかりならそもそも「本物」という概念が生まれない筈なので。「偽物」という概念があって初めて、「本物」が存在できるわけです。

 そんで。ぼく、その「本当の友達」とか「偽物の友達」とかって分けるのがダルいんですよね。偽物の友達って、それもう友達じゃないじゃん?ってことです。つまりぼくにとっての「友達」というのは、全員がいわゆる「本当の友達」ってわけなんですよ。

 でも、それって結局問いに対する答えにはなってない。なので、ぼくにとっての「友達」をまず明確にして、それを答えにしようと思います。

 

 

 ぼくは友達と、互いに"プラス"を分け与えられる関係……鴻上尚史氏の記事内でいう”「おみやげ」を渡し合う関係”でありたいと思います。”プラス”っていうのは、要は相手にとって嬉しい、楽しいと思えるようなものを指します。そんで、もしそれがどちらか一方だけに"プラス"がいくようになったりしたら(そうならないような相手とだけ付き合いを持っているつもりですが)、きっとぼくはその相手を友達と呼ぶことをやめるでしょう。その関係はきっと対等じゃない。ぼくは友達とは対等でありたいのです。

 でも、互いに"プラス”だけ……なんて、そんなこと出来るんでしょうか。勿論、それが出来れば凄く理想的だしいいと思いますけど、少なくともぼくにはできません。

 

  自己評価が低いぼくのような人間は、よく「友達」相手にも劣等感や羨望を抱きます。しかもそれを直接伝えます。超めんどくせえ。これって、相手からするとぼくの"マイナス"部分なんですよ。つまり悪い部分ね。だって相手からすればそんなこと言われたって「そんなん知らんし……」ってなるだけでしょ。しかもぼくの性格における好きではないところだって存在します。これもぼくの”マイナス”部分。これを相手にだけ押し付けるのなら、でもその代わり、ぼくは友達の愚痴とか延々と聞きます。クソ面倒くさい人生相談にも乗ります。ぼくにも友達のどうしても好きになれない部分があります。それはぼくにとっては相手の”マイナス”部分です。だけどそういった悪い所も「まあ、こいつならええか」って思えますし、相手も「こいつはこんなんやししゃーない」と(今のところ)思ってくれてます。これが、ぼくの考える理想的な「友達としての在り方」です。

 

 だから、ぼくにとっての「友達」、つまり一般論でいう「本当の友達」とは、『互いに"プラス"を分け与えることが出来て、なおかつ相手の"マイナス"を許容できる存在』であることです。

 勿論、これは全部ぼくの考えです。この記事を見ている人にとってはまた友達の基準が違うかもしれません。なので、暇な時にでも考えてみてはいかがでしょうか。考え始めると案外面白いですよ。

 

 あー、久しぶりに自己顕示欲発散できて満足です。そんじゃ、また。