自己顕示欲発散マシーン

タイトルで全てが解る

主張と自己の同一視についての軽いお話。

 どうも、あしゅです。実はぼく、このブログ出来るだけ毎日更新するつもりだったんですよ。笑えますね。あーあ、一日が40時間くらいあれば毎日更新出来るんだけどな。あとグラブルのイベントとイベントの間がもう少し空いてくれればもっと更新出来るんだけどな。あと、スマブラSPの(以下見苦しい言い訳が続く

 

 いきなりですけど、皆様は好きなものとか好きなことはありますか? あるいは、好きな人とかいたりしますか? そして、もしその自分の好きなこと(もの、人)が見知らぬ誰かに否定された(「俺はこれ嫌い」などと言われた)時、どう思いますか? もしそんな時、まるで自分が否定されたように強く感じたりする人は、気持ちは分からんでもないんだけどちょっと待ってくれ。 今回は大体こんな感じのお話です。多分ね。

 

 さて、まずは恒例の自分語りから。これをするためにぼくは記事を書いているようなものです。ホラ、自己顕示欲の発散だから。

 

 ぼくは自分の好きな人(推し)や好きなことが否定されても「はぁ、そうですか」としかいいません。勿論目の前で言われりゃそりゃ不愉快にはなりますけど、だからといってその人に食って掛かろうなどとは思いません。「ふーん、この人分かってないな」って思うだけです。なので、そういう時は距離を取ったりしてお互いに干渉しないことを心がけています。

 

 この不干渉っていうのは、最も効果のある自衛だとぼくは思ってて。特に地雷原が多めのぼくみたいな人とかにとっては余計に効果アリです。

 例えば、この下の画像。これ、10月6日時点のぼくのミュートワードなんですけど(今はもっと増えています)。

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ミュート画面

 この時、TwitterやPixiv等において、めちゃくちゃクッパ姫やらキングテレサ姫やらが流行しました。一瞬で廃れましたけどね。クッパ姫超好き~! とか言ってた絵師が2週間後には別の流行りモノに浮気してたりして思わず笑った記憶があります。ああ、こいつらの「超好き」とか「最高」ってこの程度なんだなってぼくは思いましたね。そもそも「好き」というのが建前でバズってフォロワー増やしたい、が本音だという可能性も高いですけど。

 あと、「俺の嫁」って概念あるじゃないですか、めっちゃキモいですけど。因みにぼくにもいます。うわキモ……。 あれが何人もいたりするような人間は本質的にミーハー絵師と同じ人種だと思っています。それが直近のアニメ関連だった時にはもうオワリですね。救いようがない。ブロックです、さいなら。

「超好き」なのに「一瞬で描かなくなる」んですよ。「俺の嫁」なのに「何人もいる」んですよ。いや、アンタらの基準どうなってんだって。 すぐ好きになったり興味なくしたりって忙しすぎる。

「嫁」は一人でしょう。「好き」なら長い間入れ込むでしょう。え、違うの? 僕が重いだけ?

 

 ……って、だいぶ本題からズレてるー。閑話休題

 話を戻しまして。こういった価値観の合わない人や嫌いなジャンル、あと地雷カプ(とても重要)を遠ざけるために、ぼくはミュートやブロックを割と多用してます。

 正直、ぼくは彼らのその価値観が嫌いだし、消え去ってほしいとさえ思います。……だけど、彼ら彼女らはぼくに暴言を吐いているわけではありません。ぼくのような考えを持つ人がいると知っていながら嫌がらせでやっているわけでも勿論ありません。彼らはただ小さな子どものように純粋に、「その時好きなもの」を好いているのです。なので、ここでぼくから彼らに暴言等のアクションを起こす、といった事はしたくない。そんなことをしてしまえば、ぼくはただのレベルの低い人間になってしまいますし、何より人間は一般化が好きな生物なのでぼくが暴言を吐く事でぼくの好きなものに悪いイメージがつく可能性を考えると、中々そういったことは出来ません。いや、まあ元からレベルは低いんだけどさ。

 そのため、ミュートやブロックをすることで彼らを遮断することができ、ぼくは心の安寧を得られ、暴言を吐かずに済むわけです。不満は言うけど。

 以上、そんなわけで不干渉オススメだよ、って話でした。

 

 

 というわけで本題、自己と主張の同一視について。とは言っても、序文が長くなったのでそこまで長くする気はありません。

 

 これ、多分皆様の周りにもいると思うんですけど(もしかしたら皆様の中にいるやも)、「主張に異議を唱えられたら自分を否定されたかのように怒る人」って結構多くて。「いや、違うって。ぼくは貴方の意見に反対してるだけで、別に貴方を否定してるわけじゃないよ」と言っても中々聞き入れてもらえません。……ぼくの普段の振る舞いが原因なのでは、だって? うーん、否定出来ないかもしれない。

 

 さて、そもそも何故自分の主張と自分を同一視してしまいがちなのでしょうか。

 

 例えば、関西人がよく文末に「知らんけど」を使う理由は、自分が傷つきたくないからなんですね。多分。「不確かな情報だけど」というワンクッションを入れることで、もしもその情報や考えが間違っていた時の言い訳とすることが出来るわけです。つまり逃げ道なんですね、「知らんけど」って。まあ知らんけど

 そして、何故傷つくのを恐れるのかというと、やはりそれは「自分の主張が否定された時、まるで自分が否定されたかのように感じているから」なのではないか、と考えます。先程「知らんけど」は逃げ道だと言いましたが、これは「知らんけど」が、もし自分の考えが否定された時のダメージを抑える、あるいは受け流す役割を担っているからなのです。

 

 で、この「自分の主張が否定されると自分が否定されたように感じる」って現象、正直気持ちは分からなくはないんです。だけど、好みが違う友達だって考え方が違う友達だっているじゃないですか。彼らの考え方や好みには賛同出来るわけじゃないけれど、それでも友達やめる、とまではいかないでしょう? や、知らんけども。

 あ、考え方が違う友達がいないって人は別です。それは素直に凄いと思います。ぼくの周り、みーんな考え方とか好みとかまるで違ってたまげるレベルなので。

 

 だから、どんなにソレが受け入れづらくても、まずは一旦他人の考えを聞いて、その上で反論する。これが会話のあるべき形なんじゃないかとぼくは思ってます。一番駄目なのは自分が正しいと思いこむことですからね。いくら自分と価値観が違っていても、相手なりのオリジナルの考え方があるならば、それはキチンと聞くべきです。そんで自分の理論で殴れ。殴り○せ。わからせてやれ。

 

 あ、好き嫌いの話になった場合は別です。議論の時は理屈で殴らなきゃダメですよ?議論に感情持ち込んじゃダメでしょ。それは変に大義を振りかざすんじゃなくて、感情論として「自分はそれが気に入らない」って言うべきです。……言うべきなんですけど。いるんですよ、ただ自分が嫌いなだけなのにその感情論に説得力を持たせるために群衆の力を借りようとする輩。こういう人めちゃくちゃ多いんですよねえ。ぼくは大ッ嫌いですけどそういう人間。気に入らないから。これは好き嫌いなので理屈はありません。

 自分の理論の穴を突かれる、というのは、ある意味で自分がまだレベルアップ出来るということでもあります。失敗は成功の母とも言います、痛いところを突かれ続けることは挫折の元でもありますが研鑽するモチベーションにもなります。挫折か研鑽かを選ぶのは自分次第ですが、どうせなら研鑽を選んでレスバトルに強くなっていきましょう。ここめっちゃ自己啓発本にありそうな文章ですね。意識高そう。

 

 じゃ、頭悪そうな文章を並べたところで今回はここまで。そんじゃ、また。